若干の喩え
1988年〜1989年


1988年頃

 煩悩

	永久の墓標をたてよう
	自分がいたことが、確かにこの世界に残るように


1989年頃

	われわれに未来はないのかもしれない
	けれども生きていかなければならない
	かつて死後の精神世界が信じられていた頃、生とは死への道のりであった
	今あるのは始まりと終わりだけである
	我々は知ってしまったのだ

	死とは可能性を閉じることである
	人生を確定することである


 若干の喩え

	我々が深い大気の底から見上げる宇宙は奇妙に曲がり、かすれ、揺らめいている
	かつてあたたかい母親の懐にその身を潜めながら、
	自己中心的な偏見にねじ曲げられた外界しか知らなかった時代、
	我々は外へ出るすべさえ持っていなかった
	しかしいつからか本当のことを知り、自分の足で歩いて
	自らの目で外のことを見つめるようになった頃、
	己の力がずいぶんと強くなっていたことに気が付いたのだった
	それは親への激烈な反抗期の始まりで
	母の白髪は増え、小じわは増した
	親から離れなければならないほど、自分は大きくなってしまったというのに
	甘えていかなければ生きていけない現実が存在し、
	それらが激しく葛藤を起こしているのだ

	月から青い地球を見るとき、それがどんな宝石よりも美しく、
	小さく壊れやすくもろいものであるかを実感するという
	しかしその周りに黒々として広がる、砂粒のように星々を浮かべた宇宙空間の
	圧倒的な巨大さは地球の小ささを強調していると考えるよりは
	むしろ、我々というのはこんなにも広大な世界に住んでいるのだということに
	喜びを持ちたいものだ

	人類は地球の子供であるというより、遺伝子を携えた精子かもしれない
	いつか、生物たちをつれて他の星々に移り住んだとき、
	そこには新しい地球が誕生することだろう

	あるいは我々はガン細胞にすぎないのかもしれない
	無制限に増殖し、地球とともに自滅してしまうのかもしれない

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