SETI
1992年頃


	何故探し求めるのか
	なんのために
	仲間が必要なのか

	存在を知りたいのだ
	いるか、いないか
	ただそれだけ

	生命と非生命 (ロボット)
	知性と野生  (サル−クジラ)
	どこで境界線を引くのか

	我々と共通するものはあるのか
	 「感覚」×
	 「科学的知識」○
	 「感情」×
	 「論理」○
	 「倫理」?

	彼らは食べ物や、人口や、エネルギーのことで困ったりはしていないだろう
	しかしその解決策を彼らに教えてもらうなどというのは
	虫がよすぎはしないか

	それは人類の行く末を考えることと不可分の問題だ
	「知的生命体は最終的に何を求めて発展していくのか」

	群体として社会を構成するのは、いつの段階でも
	いちばん良い方法なのだろうか

	人間は一人では何もできない
	互いに支え合ってみんな生きてきた
	「自分の力」だけで生きてきたという男でさえも
	「金」を作り出してきたにすぎない
	「かね」は他の人間がいて、働いて、
	「もの」「サービス」を作りだし、取引に応じなければ
	何の役にも立たない

	社会
	知的財産の共有
	取引
	まだ早すぎるのでは
	他の星の知的生命体と
	こういう関係を持つという
	ことは

	非常に進んでいるだろう創造力、通信、知識の共有、
	圧倒的な量とスピード!
	人類などについていけはしない

	個体の集団
	彼らもそうだろうか
	はたして
	あるいは

	120億年にわたる宇宙の歴史の中で、
	進化の程度に数億年の差があったとしても何ら不思議はない
	そして2つの知的生命体が接触したときに進んだ側にあるのが
	どう考えても人類でないことは明らかである
	1億年あれば人類でさえどれほどのことを成し遂げるだろうか
	ましてや異星人の超高度に完成し、安定した”文明”というものが
	いったいどんななのか分かろうはずもない

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