NASAの解体からすでに20年が過ぎようとしていたある冬のこと。 有人宇宙飛行はその高額な費用とスペースデブリの増加により、 中止され、通信衛星や気象衛星などの無人の実用衛星のみが打ち上げを 許可されている。 打ち上げているのは民間の衛星打ち上げ業者である。 直接の原因は宇宙ステーション「ベータ」の事故だった。 衛星探索網に引っかからなかった、真っ黒に焼けこげた衛星の破片が ステーションに致命的な穴をあけてしまったのだった。 また、ロシアは再び政変が起き、宇宙開発部門は完全に消滅した。 核兵器は廃絶されたが代わりに通常兵器の戦力増強がまかり通っている。 日本とアメリカとの関係は破綻してしまっているが、民間レベルではネットワーク を介して国境が意味を持たなくなりつつある。 ネットワークの進歩により、人々の関心は外の宇宙よりも、電子の宇宙の方に 向かっていた。 ハンドルが現実世界でも一般的に使用され、実名は契約時などでのみ使われる。 実名はできるだけ表に出さないことで、犯罪に巻き込まれたり、 裁判に訴えられることを防ぐのだ。 一方でアジアとアフリカの爆発的な人口の増加と急激な文明化により、 石油をはじめとする工業資源は暴騰し、先進国の人々は以前のような消費は できなくなった。 飢えた貧しい人々によってすべての森が食い尽くされ、その異常気象との関連性が 確実視され始めるなか、毎日数万の単位で子供たちが死んでいくのだった。 テロリストは今や企業のネットワークが相手だった。 テクノロジーへの批判は最高潮であったが、現在の世界がそのテクノロジーに よってのみ、かろうじて存在していることは皮肉でもあった。 科学技術と医学によって人は死ににくくなり、人があふれることによって 世界は窮地に陥った。 *** 人は人が死ぬのを、また、自分が死ぬのを黙って看過することはできない。 そうである限り、延命の力を持ってしまった我々は、それを行使せずにはいられ ないだろう。また、それだからこそ、人間であるのだから。 この堂々巡りはいつか平衡状態に達するだろう。恐ろしい犠牲の果てに。 戦争が起きるだろう。かつてない、満たされることのない渇きを癒すために、 勝利の見込みの全くない戦争を、始めざるを得ないだろう。 大量に人が死に、多くの人々がいたずらに子供を作らないようになるまで、 それは続くだろう。あるいはその課程で人類は滅んでしまうかもしれないし、 そうでないかもしれない。これは進化という神が人間という生き物に仕掛けた 調節機構の一つに過ぎないが、それは人類のためにあるのではないのだから。 それでもたぶん、人類は生き残るだろう。一部の、裕福な人々が。 彼らは決して悪い人々ではない。しかし、死んでいった多くは貧しく、 そしてやはり人間なのだ。 重い空気の中、世界は、再び宇宙を目指さなくてはならないことに気づくだろうか。 経済の発展は、テクノロジーの発展の上にあるのであり、貧しさのある限り、 問題は永遠に解決しないだろう。しかし、多くの人々が豊かさを得るには、 地球はあまりに小さく、脆いのである。