1998年 10月19日 21:00 気持ち悪くて自転車で走り回った トイレで出血(え〜と下から) ものすごい眩暈 せっかく一日おきに鉄剤を注射していたのに無駄になってしまったのか? 救急車を呼ぶ むりやり横浜市民病院にいってもらう 脈拍、血圧、ともに正常 20分で着く さすが救急車は速い F先生は手術中 採血、レントゲンの結果は正常 CRPはゼロ トイレで2回目の下血。でもちょっと黒い G先生に見てもらい、安全のため絶食、入院 南2F救急病棟 絶食、点滴開始 看護婦:Mさん 向かいのベッド:I君 9歳小学生 自転車で転倒? テープ剥がすのが痛い となりのベッド:酸素、エレガントなポンプ、怪我?、労災、記憶 K先生がちょっと顔を見せた 10月20日 14:30 東5Fへ転棟 下血3回目 S先生 貧血12→10となっているため、落ち着くまで入院らしい 今日、明日には帰れないと言う 父に連絡 10月21日 担当:Hさん 部長回診 F先生 大したこと無いけど、この際だから検査しよう 父やってくる 下血4回目(というより血便?かなり黒い) なんかおかしくないか リブレットのバッテリ故障 CD−ROMドライブ故障 大したこと無い でもかつて無いほど貧血な感じ いや、これは点滴が足りなくて栄養不足なだけ? おなか減った 夕方、K先生がみえた 内視鏡 下からやって、なにもなければ上から 最後の秘境、胃カメラを、遂にやらねばならない!? 飴やキャラメルはOKとのこと ジュースは禁止 1Fのグレ電でネットワーク接続中に気持ち悪くなった なんとか5Fに戻ってナースコール 血圧は正常 体温は37.4℃ 眩暈の薬を点滴してもらい寝たら治った 10月22日 となりの患者さんはOさん 滋賀県 中学で技術の先生をしている 看護婦のOさんはいない Tさんはいる 便がでるが赤い血は見られない 今日はずっとふらふらだ 座っているだけでつらい 37℃以上の微熱がある F先生は点滴が少なすぎると言う S先生は様子を見ているという 15時に突然、検査 大腸ファイバーだ 思わず声が出る 〜掲載不能〜 下方結腸まで到達 結局、出血の原因は痔でも大腸でもなかった 明日朝、胃カメラが決定した 胃カメラへの恐怖 それは10歳の頃から膨らみ始めた そんなものやるくらいなら死んだ方がましだと思ったものだ その瞬間を想像した 切れないうどんを食べるようなものだろうか、とか 飲むときより抜くときの方が気持ち悪いんじゃないかとか 横になってやるから気持ち悪いんだとか 漏斗をくわえさせられるから飲み込めないんだとか いろいろ想像した 子供にもわかりやすい恐怖だったからかもしれない そのころ大腸ファイバーや小腸造影なんて知りもしなかったし 想像もできなかったからね 今では、それらありとあらゆる検査と、 この世の地獄を経験しているというのに 胃カメラだけは未経験 あんなにいっぱいゲロ吐いたのに あんなに太いイレウス管を1週間も入れていたのに いまさらたった5分くらい、我慢できないものかね 情け無い 怖くて眠れないとは 違う 本当に怖いのは 結果が確定することだ 胃潰瘍ではなかったとき これからなにが始まるのか 勘弁してくれ 胃カメラをやる夢を見た なぜか高校の2階の保健室のようなところ (ここは夢にたびたびでてくるところで、保健室にしては物々しい) 僕は高校のホームルームで当番と喧嘩してそこへ向かう (この世界では未だにぼくは高校を卒業できていない) F先生と助手の看護婦さん 入れる感じはゼリーだらけのイレウス管のよう でも、途中でねじれるからと言って 引き抜いてしまう 2回やって失敗し3回目をやろうとしたところで 目が覚めた 本当の胃カメラは、それよりちょっと激しかった 検査に呼ばれる9時を指折り数えて待つ 遂に呼ばれて車椅子で向かう (貧血の人はVIP対応なのだ) 待合室のいすで、他の人とカーテンで仕切られて キシロカインゼリーをうがいの体制でいれたまま3分まつ びんびんに痺れた頃、3分のアラームがなり 半分吐き出し、半分飲み込む 内科の他の人が呼ばれて部屋に入っていくのに、 ぼくはまだ呼ばれない 先生がまだこないからだ 麻酔の効果が薄れないうちに早くやってほしい でも本当はやりたくない 始まる前からゲロ吐きそうに気持ち悪くなる しかしS先生はやってきた 内科とは別の奥の部屋に案内される 青いベッドに紙のシーツ そして 黒くて太いファイバースコープ モニタがみえない方向に寝かされ 胃の動きを止める注射を肩にする あの漏斗をくわえさせられ・・・ 唐突につっこまれる おえおえ 飲み込んで、と言われるが そんな動作するまもなくぐいぐい入れられる でもむしろその方がいいということはイレウス管で経験済みだ ゲップをしちゃ駄目 すると検査が長くなるよ〜 げげ〜 ゲップしちゃ駄目だったら 胃まで到達したと思える頃 さらにつっこむ先生 げろげ〜 サンプルをとるためのワイヤーを入れて一気に引き抜く それを3回 ファイバーをまわすと胃の壁が突っつかれるのを感じる 目をあいているからつっこむのがみえて気持ち悪いのだ 目を閉じた すると麻酔のせいなのか あまりなにも感じなくなった 写真を撮るピーっという音が続く よく分からないうちにするすると抜かれて 検査は終わっていた 「主観時間で」15分程度 たしかに大腸ファイバーよりは短い でもゲップしたから長くなったのか? 胃を通り越して十二指腸まで見たからちょっと激しかったのか? まあ、イレウス管を入れるときのあの「主観時間で」数時間に比べれば・・ 見せてもらった十二指腸の写真には 白い楕円の潰瘍がツブツブとたくさんあった でも、S先生はこれが出血の原因かは分からないと言う これが出血の原因であってほしいと願う 検査後のダメージは思ったよりも残った キシロカインのにおいと、停止して重たくなった胃袋 クスリを使っているからだろうか あるいはげえげえして体力を使ってしまったためだろうか 看護婦のSさんがやってきて、また車椅子で帰る Sさんは浜松出身だそうだ はんぺんはやっぱり黒だよね、と話をする けっきょく 十二指腸潰瘍はみつかったが それは出血の原因ではないようだ ただ、その十二指腸潰瘍も、普通のものとは違うとのこと ランダムにたくさん散らばっている クローン性? ストレスは関係ないだろうという 出血が小腸からだとすれば 保存療法をとることになる というわけで、さっそく夕方から流動食が始まった 10月24日 リブレットのバッテリー、CD−ROMドライブ そしてモデムカードまでが故障した! この3つが別々の原因で故障するのは 信じられないくらい低い確率のはずなのに・・・ 液晶テレビ、ウォークマン、CDプレーヤも 見つからない! この僕に情報の入力をさせないつもりなのか 「病棟のうた」を読み返した あれからまだ1年たってないのに またここにいる ふとおなかのあたりが濡れたような気がして焦る 今は有るはずのないストマが漏れたのではないかと モデムカードは2,3回叩いたらが復活した 喜んで1階で接続していたら 母がやってきていた もう、検査も終わり 眩暈も気持ち悪さも流血もなくなり 流動食も始まって 悠々自適なバカンスが始まった 向かいの人はNさん37歳 神戸 やはりクローン病 大阪から社保中を経由してこちらにやってきたそうだ 3年前にここで手術した後、エレンタールを欠かさず1日7パックも やってきたにもかかわらず、また瘻孔ができてしまったという ストマになってしまう可能性もあるという 悲しい話だ T先生は「エレンタールは小腸には効くんだが・・・」といっていたらしい 10月25日 流動食がおいしい おそらく、本当以上にうまく感じているのだろうが ここの流動食は去年といい、4年前といい 半年近くも絶食してきた末に初めて食べたものだったから 今でもそう感じるのだろう グレ電がまたも国際電話で長電話する外国人によってふさがれている いまだにこの大病院にグレ電が1つしか無いというのはどういうことだ? 1Fにある電話は2台ともグレ電にしてほしい できれば各階の緑電話もすべてグレ電にすべきだ 携帯電話を禁止するなら、それくらいのことはしてほしいものだ というわけで病院の目安箱に投稿した =============================================================== グレーのISDN公衆電話(グレ電)が病院に1階の1台しかないため、 国際電話をする人とパソコンを接続する人が順番待ちとなることが多く、 不便です。 1Fの電話を両方グレ電にするか、できれば各階のすべての公衆電話を グレ電にしていただけないでしょうか? これからますます国際化およびインターネットへの接続が一般化する中で 院内での携帯電話を禁止している以上、公衆電話の質的、数的な充実を 是非お願いしたいと思います。 外科患者 広住 元 =============================================================== 10月26日(月) 朝、五分粥 昼、全粥(釜揚げうどん)となる F先生が小腸造影をやったら帰っていいよという 簡単だから、あっという間だから・・・ たしかにどうせやるなら今回やってしまえば楽かもしれない 外来で検査するのはやっかいだから。 S先生 明日、採血検査 明後日、小腸造影とのこと 問題なければ退院 10月28日(水) 部長回診 「検査だけやって帰ろう」 11時から小腸造影 看護婦さんがイレウス管を準備しているのをみてドキドキ S先生が担当。F先生もいる しかしS先生はかなり細い管を 数分で十二指腸へ通してしまった 胃カメラよりだいぶ楽だ シリンジで注入されたバリウムが喉に冷たい 小腸上部はまるで普通の人のよう 回盲部には短い狭窄 だが、処置が必要なほどではないという 夜の回診でK先生は 「血が出たらまたおいで」 と言った 出血は突然起こる 気をつけようがないのだという 白いバリウム便がピーピーでた 夜の看護婦はSさん Nさんが僕に彼女がいないのはもったいないという ほんとうは自分でもそう思うが・・・ 10月30日(金) もう明日退院だ 父が来た Nさんが手術を受けた すでに老齢に入ったお母さんが 心配そうに言う 息子が痛い痛いいいはるの 切ってつなげた直腸と大腸のつなぎ目が 引っ張られていて はずれてしまう危険があるという そうなったら緊急手術で人工肛門となってしまう 僕も本当に心配になる あんなに元気そうにみえたのに 下手をすると去年の自分の二の舞になりかねないとは 実は高校生の頃から20年もこの病気と闘っているのだそうだ だから37歳にしては若くみえたのだろうか 10月31日(土) 一つだけ答えの輪郭を得て 退院する 完全な解放ではない (血液検査の結果はいまだにやや貧血を示している) けれども 無駄な時間ではなかったと信じたい