病棟のうた
これらは日付がついていますが順不同のものです
思い付いたまま、思い出したまま・・・
1997年11月23日
病院での最後の夜が来た
ナースステーションではいつものようにナースコールのチャイムが鳴り
窓の外では遠くの高速道路のうなりが聞こえる
慣れ親しんだベッドもこれが最後
同じベッドの上で苦しみにもだえたことも
すでに忘却の彼方
笑い話としてさえ話すことができる
今は生きているだけで幸せなとき
パン一切れで幸せになれると言ったキリストの言葉も
信じることができる
禅宗が教える無欲に徹する生き方も
あり得るかもしれないと感じる
しかしまた人並みの幸福を求め始め
さらなる渇望に身を焦がすときがくるだろう
そうすればこの幸せも消えてしまう
そのときは意外と近い気がする
1997年11月19日
退院が決定した
激痛と麻酔による無意識の狭間でさえ
この時がくるのを信じていた
人工肛門を自分で管理しながら生活する人
大腸をすべて摘出してしまったために日に20回も下痢をしている人
腹やお尻の瘻孔から膿が常に出続けている人
定期的に放射線治療を受けなければならない人
食道に管を挿入したままモノを食べなければいけない人
自分で膀胱にカテーテルを挿入して残尿を出さなければならない人
退院しても様々な困難を背負って生きて行かなくてはならない人々を
たくさん見てきたいまでは
「普通に」生きることがいかに貴重なことかを
五体満足に生きることがいかに幸福なことかを
知ることができた
しかし残された時間は少ない
この自由時間の終わりに
どこへ行ったらいいのか
借りものの時間を生きるために
なにができるのか
選択しなければならないときが
近づいている
壊れてしまった夢
はじけてしまった願い
適当なことを言ってごまかす
友情はまやかし
愛情は偽り
なにが起きたのか分からなかった
暴走する情熱
行き場のない怒り
燃え尽きた創造力
宇宙的広がりを持った憎悪
残された夢は
限度を超えた悪夢
なにも話すことがない
自分がこんなにつまらない人間だなんて思わなかった
朝起きてから寝るまでのサイクルのなんと早いこと
思考が常識に捕らわれて硬直し
発見と創造の喜びを忘れてしまった
子供の頃はあんなに好奇心にあふれていたのに
何で今はこんなにつまらない大人になってしまったんだろう
1997年11月18日
僕は帰ってきた
あの世界から
縫い目と
イレウス管と
高熱の
地獄から
意識が戻ったときには
今回はなんて楽なんだろうと思った
おなかの痛みが少なかった
前回より開腹の幅が小さいようだ
麻酔後に挿入された鼻の管も気にならないし
酸素吸入もない
そしてなにより人工肛門が閉鎖されたこと
切り離されていた大腸が復活したこと
癒着はそれほどでもなかったこと
涙が出るほどうれしかった
しかし間違っていた
鼻の管を抜いた日の夜
我慢しきれずにゴミ箱に吐いた
レントゲンの結果は
イレウス
五ヶ月前にぼくをこの地獄に落としたそもそもの始まり
イレウス!
腸閉塞でやることは決まっていた
緑色の太いイレウス管が
鼻から喉へ
喉から胃へ
胃から十二指腸へ
レントゲンで見ながら先生が挿入する
つばを飲み込む度に喉に当たる緑色の管
ぼくはトイレにも行けなくなった
これだけの体験をして
三回の手術の果てに
けっきょく最初に戻ってしまうのか
しかしそうはならなかった
今度のイレウス管は先端のバルーンが蠕動運動により小腸内部に到達し
それを経由して逆流するものは少しずつ減っていった
イレウス管を挿入されながらも
傷はどんどん治っていき
気が付くと抜糸も済み
二本あったドレーンも抜去されていた
そしてその日は来た
緑色のイレウス管を抜く瞬間
酸っぱくて嫌な味がのどの奥に残る
点滴以外の異物が体からなくなった瞬間
すぐにベッドから起きあがったが
結構歩けた
ご飯がでるという
流動食
重湯と油ぬきのポタージュ、リンゴジュースにヨーグルト
彼らがまずいと酷評するこれらは
信じられないくらいおいしかった
1997年10月19日
6人部屋のすべての患者が入れ替わってしまった
後に残されたのは
もう一回の手術を受けるもの
いやでないと言えば嘘だ
しかし
その向こうには少なくとも
食事ができる日々があるから
病院食を食べて
大声で
「おいしい!」
と言ってやりたいから
体重が51キロ台になってしまった
これでも生き延びられるのか
「俺は生きる!なにがなんでも生きる!」
遠くで響く金槌の音
病棟の廊下を歩くスリッパの音
廊下に響くワゴンの金属音
泡を立てる持続吸引ポンプの音
音のしない液晶時計
本当は嫌さ!
人工肛門をぶら下げて
一生を過ごすなんて
人間の生理的欲求のうち
3つまでもを
(食欲と、排泄と、性欲?)
失って生きなくてはならないのか
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
誰か助けて
浣腸をした
横腹にでた人工肛門から注入して
再びあの世界に戻るのだ
熱と
マーゲンゾンデと
膀胱カテーテルと
腸瘻のある世界へ
コンピュータを嘔吐物で汚してしまわないうちに
早く
癒着がひどい
繊維化が進んでいる
人間のものですらないような
腸のかたまり
それをひきはがして
切り取って
繋ぎなおして
穴を塞ぐ
腸液による汚染
そろそろ
コンタクトをはずして
眠剤を飲んで
眠りにつかなければならない
ちょっと微熱があるのは気のせいだろう
1997年10月9日
1997年10月8日
決まった
再手術だ
しかし癒着した腸は繋がらない
絶望と微かな希望の先に
見え隠れするもの
1997年10月7日
自分が一番不幸だと思うことは簡単だ
再び燃え上がった熱
胆汁状の胃液を吐く
分泌される涙
いくら吐いても
もう吐くものがないのに
1997年9月24日
腹が管を食ってしまった
今度はT字型の管を入れ直す
これで駄目なら手術だ
内臓をぶちまけて
それを閉じる
強まる風雨
窓には1/fノイズの落書き
1997年9月15日
窓の外は雨
台風のにおい
先生に怒られてしまった
「自分の病気に無関心ではだめだよ」
今生きていることに無限の喜びを感じるとともに
ガンの再発で死んでいった人々も
同じことを考えていたのだろうか
と思ったりする
1997年9月14日
ふと、自分の通っていた高校の自転車置き場を
昨日のことのように思い出す
そこには誰もいなかった
1997年9月13日
夢を見た
ふるさとのようでちょっと違う田んぼを
走って逃げる
逃げ込んだ場所は自衛隊の駐屯地
山のようなゴミを運び出そうとしているところ
狭い一本道を行列する
1997年9月12日
今日は誰かの誕生日だったらしい
社会の主役は僕らより若い世代に移ってしまった
社会を動かしているのは僕らより上の世代なのに
宮沢賢治は26歳のとき、とし子を亡くした
今の僕にはなにができるのか
1997年9月11日
日々新しい患者が病棟にやってくる
新しく隣にきた爺さんは
僕のイビキがうるさいという
爺さんのイビキも結構なものなのだが
それは言わないでおこう
1997年9月5日
ついに打ち壊された平凡な暮らし
しかし3ヶ月も続けばそれも
新しい日常
1997年9月4日
毎日1700キロカロリーの点滴を打ち
600キロカロリーの栄養剤を飲み
リハビリで100キロカロリーを消費する
1997年9月3日
コンビニで買い物をして
弁当を食べていたのが
つい昨日のことのようだ
1997年8月29日
この2年間、放っておいたのがいけなかった
恐怖と怠慢で
通院を怠っていた
やっぱり自業自得か
1997年8月28日
夢を見た
地平線の向こうに核爆弾が落ちる
壮大なキノコ雲があがる
ぼくは町外れの旅館に急いで戻ろうとするが
黒い雨にあたってしまう
1997年8月24日
毎朝、枕元に
抜けた髪の毛が大量に散乱しているのをみて
驚く
10円ハゲができた
1997年8月20日
今日は検査があった。
腸ろうとよばれるお腹への管から造影剤を注入する
漏れの残りは1個所
バルーンを入れて復旧を待つ
今度の手術はしなくてもいいかもしれない
1997年8月19日
1997年8月18日
ICUにあったと思った
あれはやはり幻覚だったのか
オーラを計る機械や
ポール・フェニックスの頭をした点滴台
1997年8月17日
熱にうかされていたときに食べた氷はおいしかった
ただの氷なのに甘くておいしかった
1997年8月16日
1997年8月15日
「洗浄」とそれはいうらしい
11本ある腹に入っていくチューブのいくつかから
点滴で水を注入し
汚れた内臓を洗い
ポンプで吸い出す
僕はこれで助かったのだ
1997年8月14日
酸素マスク
酸素はそんなにおいしいもんじゃない
しゅーしゅーうるさいし
ゴムのにおい
声が出ない
声が・・・
1997年8月13日
病院に1台しかないISDN公衆電話を女の長電話に占領されて
結構いらつく
1997年8月12日
感受性が失われてきている
歳を取ったからか
それとも既に僕は死んでいて、
今生きているのは影武者だからか?
病室をカラスがのぞき込む
死臭を感じるのか
キレイキレイと看護婦は言う
しかし実際、汚らしい腹になってしまった
砂粒のような星々を背景として浮かび上がる山裾
地球の端っこ
壊れてしまったふるさとの風景
側溝をぶち込まれた用水路
普通、死ぬときでもこんな苦痛は伴わないだろう
というような苦しみ
普通の人は死ぬまで一生こんな苦痛は知らないだろうに
なにいってんの
あんた死にかけてるんだよ
最近、自分が昔にしでかした恥ずかしい出来事ばかり思い出す
いや、自分の存在自体が恥ずかしいのだ
1997年8月11日
6人病室の大きな窓の外の青空を
大きな雲がゆっくりと流れていく
1997年8月10日
灼熱の業火
人工肛門
粘液瘻
膀胱カテーテル
鼻から胃まで挿入した管
2時間ごと襲ってくる嘔吐
11本のパイプからポンプ2台で吸い出す激痛
果たさなければならない義務に追われる果てしのない悪夢
既に自分は死んでいるのでは?
ICU(集中治療室)の機械音の中
個室の病室の静寂の中
寝たきりの快感
かまってもらえてうれしかったのか?
すべては既に2ヶ月の彼方
過ぎ去った苦痛は思い出せず、何度体験しても慣れるものではない
実感はない
臨死体験もない
しかし地獄を通り抜けてきたという感覚だけはある
自分が消えてしまうかもしれなかった事実
この世から消えてしまうかもしれなかったこの現実
消えてしまったほうが楽だったか?
実際に死に挑んでみると恐怖はない
しかし後から考えるとむしろそれが恐ろしい
恐ろしいのは何も成し遂げていないからだ